「茶道具名物譚 静嘉堂文庫美術館蔵 稲葉天目」岡田 直矢|第3回 2022-04-20 UP

 明治維新以降、他の茶道具が離散する中にあっても本品は稲葉家の重宝であり続けたが、終に大正七年三月十八日、入札に掛けられる。関西の茶道具商七名が共同して十六万五千円で入札したが、東京の中村作次郎が十六万八千円で対抗、落札した。これは茶道具の取引史上、空前の価格であった。
 中村から本品を購ったのは小野光景(みつかげ。横浜の絹糸輸出商。横浜正金銀行頭取)である。その息、哲郎の所蔵を経て、昭和九年、三菱財閥の四代目総帥、岩崎小彌太が本品を入手。茶道具を含む父、彌之助の蒐集品を相続していたが、小彌太自身は中国陶磁器を系統的に蒐集しており、その白眉となった。ただ、これ程の名品の私蔵を潔しとせず、生前一度たりとも用いなかったという。
 小彌太は岩崎家が蒐集した古典籍を寄付、財団法人静嘉堂文庫を設立したが、死後、遺志により同家が所蔵する美術品も同財団に寄付された。本品もその一つであり、同財団所蔵品中、最も高名な作品として、今日、見学者を魅了している。
 なお、現存する曜変天目の他の二碗はそれぞれ藤田美術館と大徳寺の塔頭、龍光院が所蔵している。

写真と絵:岩崎小彌太と稲葉天目

▶「茶道具名物譚 静嘉堂文庫美術館蔵 稲葉天目」岡田 直矢|第2回

▶「茶道具名物譚 静嘉堂文庫美術館蔵 稲葉天目」岡田 直矢|第1回
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