鍵は「白」と「筒形」にあると私は考えています。ベトナムの白釉陶器は白化粧をした上に透明な釉薬をかけて焼いています。ベトナムには磁土が見つからず、白くしたい時には白化粧をします。これはベトナム陶磁の宿命といえ、中国磁器のような怜悧な白磁にはなりません。半磁器質に白化粧なのでやわらかな白になる。ところが、高麗茶碗といい、志野といい、安土桃山時代の茶之湯では「やわらかな白」が注目され、中国磁器より高く評価されました。
また、器壁が直立した「筒形」の焼きものは安土桃山時代の茶之湯興隆期以前の日本陶磁には見られません。いっぽう、「筒形」はベトナム陶磁では基本的な器形の一つで、ベトナム陶磁の血脈ともいえる形でした(図4)。備前や信楽の矢筈口水指はベトナム産焼締陶器のいわゆる南蛮縄簾の影響だという説もあります。
図4 青磁鎬文筒形碗・白釉鎬文筒形碗・緑釉鎬文筒形碗 全て舛田誠二氏所蔵
(『ベトナム陶磁の二千年』町田市立博物館 2013年 138頁 より転載)
つまり、「白くて筒形の焼きもの」はそうそうなかった。新しい世界を切り開いていった当時の茶之湯にあって、面白いもの、珍しいものを探し求めていた茶人、あるいはその意を汲んで活動していた貿易商たちなどは古きも新しきも探し回っていたに違いありません。そんな彼らの目に留まった。おそらくは彼の地で伝世していたものを拾い上げて運んできたのだと思います。どちらも数多く作られており、特に筒形壺の方は貯蔵具ですので、使われ続けて残っていた可能性が十分にあります。
というわけで、ベトナム陶磁の本質と茶之湯興隆期がピタッと合致したのが白釉蓮弁文水指と鎬文筒形碗だと私は思うのですが、豈図らんや、「安南」であることは早くに忘れ去られてしまいました。「高麗」「鳥の子」という名称は柔らかな白、というところが注目されたことを示していますが、「安南」=「侘びた染付」という定式が早々と出来上がったため、それ以外のベトナム陶磁は国籍を間違えられてしまった、あるいは不明になってしまったと推測されます。しかし、これらは蜻蛉手や縄簾とともに日本とベトナムの浅からぬ縁を語ってくれます。
文:鶴見大学文学部文化財学科 教授 矢島律子
写真提供:町田市立博物館