五島美術館「館蔵 茶道具取合せ展」展覧会の概要 2023-12-20 UP

 五島美術館では例年12月の中旬より翌年の2月中旬にかけて、館蔵の茶道具をさまざまなテーマで取合せて展観しています。令和5年度は12月13日(水)から令和6年2月12日(月・振替休日)の期間に開催しています。当館茶室「古経楼(こきょうろう)」「松寿庵(しょうじゅあん)」「冨士見亭(ふじみてい)」の床の間の原寸模型を展示室にしつらえ、館蔵の茶道具コレクションから約70点を選び展示します。懐石道具・炭道具のほか、今回は織田信長(1534~82)を中心とした武将や大名ゆかりの茶道具の取合せを展観します。また、展示室2では、特集展示として懐石道具を中心とした茶の湯の漆芸を同時公開します。
 戦国武将の中で随一の人気を誇る織田信長。今川義元(1519~60)を桶(おけ)狭間(はざま)で破り、妻の実家である美濃斎藤氏を滅ぼし、その後上洛し天正元(1573)年に将軍足利義昭を追放し、諸国平定の歩をすすめました。京都本能寺で明智光秀(1528?~82)に襲われて生涯を終えたことはあまりにもよく知られています。
 「本能寺文琳」は中国産の唐物文琳茶入で大名物です。別銘に「朝倉文琳」「三日月文琳」があります。織田信長が京都の本能寺に寄進したことからこの銘がつきました。「朝倉文琳」は越前の戦国大名朝倉義景(1533~73)が所持したことにより、また「三日月文琳」は釉薬の景色からのついたともいわれています。
 林檎形の文琳茶入としては肩がはっきりとした形姿です。赤味のある細かい胎土で、非常に薄づくりのため、重さは87.4gととても軽い茶入です。釉薬は二重掛けされ、黒褐釉の上にさらに飴色の釉薬が二筋流下して景色となっています。底部には糸切跡が残っています。
 伝来は、天正元年に越前一乗谷攻め以後に義景から信長へ、本能寺からそののち中井大和守正知、小堀仁右衛門(小堀遠州の異母弟の家系)を経て、安永7年(1778)に松平不昧(1751~1818)の所有となります。『玩貨名物記』、『古今名物類聚』、『大正名器鑑』所載。
 添盆として「張成作」と彫銘のある堆朱五葉盆、そのほか仕覆が7つ添っています。また、不昧が編輯・出版したという『古今名物類聚』の記載にある包物も残っています。


重要美術品 唐物文琳茶入 銘 本能寺
陶器/一口 南宋時代・13世紀 五島美術館蔵
高7.3cm 口径2.7cm 胴径6.9cm 底径3.0cm 重量87.4g
 

稲葉家に伝わった茶入―稲葉大海

 皆様は茶道具で「稲葉」という銘のある物といえば、何を連想されるでしょうか?
 現在丸の内にある静嘉堂文庫美術館所蔵の国宝「曜変天目」別名「稲葉天目」を思い浮かべる方も多いかと思います。こちらは、徳川将軍家にあったものが三代将軍家光の代に、乳母の春日局を経て稲葉家(淀藩)に伝えられたものです。春日局自身も明智光秀の重臣である斎藤利三の娘ですが、母方は稲葉家の出身であり、夫は稲葉正成です。
 五島美術館の「稲葉大海」は中国産の唐物大海茶入です。織田信長(1543~82)から美濃(岐阜県)の武将稲葉一鉄(良通 1516~88)へ渡ったという伝承があり、その後昭和29年(1954)まで稲葉家に伝わったとされています。稲葉一鉄は春日局の外祖父にあたります。稲葉家のうち明治まで続いたのは、「稲葉天目」を所持していた淀藩のほか、美濃郡上八幡から転封した豊後臼杵藩、安房国館山藩があります。
 大海茶入は、大振りで口が広く、平丸形の茶入です。二重掛けした鉄釉が景色となっています。底部は箆起(へらお)こし(板起(いたお)こしとも)で、轆轤(ろくろ)で成形した器を箆または板を用いて切り離しています。大海茶入は中国福建省福州市などの遺跡からの出土例はありますが、伝世品はあまり多くありません。中国の南宋時代から元時代にかけて、福建省で製作され、日本に請来されたものです。朱漆四方入角盆が添っています。<<続きは12月20日ごろ>>



唐物大海茶入 銘 稲葉大海
陶器/一口 南宋~元時代・13~14世紀 五島美術館蔵
高7.3cm 口径5.8cm 胴径10.1cm 底径6.2cm 重量156.9g


利休七哲の一人 蒲生氏郷の茶杓

 蒲生氏郷(1556~95)は、織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将です。幼い時に信長の人質となるも、信長にその器量を認められ、信長の次女を娶ります。先の「稲葉大海」を所持していた稲葉一鉄も「やがて大軍を率いる武勇の将となるであろう」というように予言したという逸話があります。千利休(1522~91)の武将の弟子「利休七哲」の一人です。この利休の高弟については、異説がありますが、蒲生氏郷と細川三斎の二人はだけは一貫として変わりません。茶人としても知られる高山右近(1552~1615)の影響でキリシタンとなりました。天正18年(1590)には小田原征伐の功により会津若松92万石の領主となり、また、利休亡き後千少庵の身柄を会津若松に預かったことでも知られています。
 この茶杓の銘は、切り落とした節にある虫喰いから付いたのでしょうか。松永安左エ門(耳庵 1875~1971)の旧蔵品の東京国立博物館所蔵の共筒茶杓と比べると、櫂先などはおとなしいつくりのように見えます。筒は、利休の孫である千宗旦(1578~1658)の門人で「宗旦四天王」の藤村庸軒(1613~99)によるもので「御茶杓 姥筧虫喰」と墨書があります。副筒と外箱は松永耳庵によるものです。


蒲生氏郷作茶杓 銘 姥筧虫喰
竹製/一本 桃山時代・16世紀 五島美術館蔵
長18.5cm 筒長20.5cm 

文:五島美術館学芸部担当課長 砂澤祐子
写真提供:五島美術館
 



■概要

展示室に当館の茶室(古経楼・松寿庵・冨士見亭)の床の間の原寸模型をしつらえ、館蔵の茶道具のなかから名品を選び取合せて展示します。今回は、織田信長(1534~82)を中心とした武将や大名ゆかりの茶道具のほか懐石道具など約70点を展観します(会期中一部展示替あり)。また、特集展示として棗・香合や懐石道具などの茶の湯の漆芸を同時公開します。

◆休館日=毎月曜日(1月8日・2月12日は開館)、 12月25日[月]―1月4日[木]、1月9日[火]
◆開館時間=午前10時―午後5時(但し、入館は午後4時30分まで) 
◆入館料=一般1100円/高・大学生800円/中学生以下無料
◆交通=東急大井町線〈各駅停車〉「上野毛駅」(かみのげ)下車徒歩5分


▼詳細はコチラ「館蔵 茶道具取合せ展 五島美術館」
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