Q.古角商店の歴史を教えてください。
初代の祖父 古角春治(明治19年生まれ)は兵庫から上京し呉服屋に修行に入りました。その後独立し、赤坂で古着古道具を扱う店として創業しました。二代目の父 古角弘一(大正10年生まれ)は戦前に学校を出て銀行に勤めていましたが、戦後は仕事が少なく真面な仕事に就けなかったようで、家業を手伝うようになりました。お店はアメリカ大使館に近かったため(現在のANAインターコンチネンタルホテル前)、進駐軍の人たちがアメリカ本国に帰国する際に、使っていた電気冷蔵庫や石油ストーブなどの家具を売り、日本の美術品をお土産に買って帰ることが多くあり、古着古道具から書画などを扱う古美術商として業態を少しずつ変えていきました。父の後を継ぎ、私で三代目です。現在は茶道具を主に扱っています。

Q.ご主人が茶道具を扱うようになったきっかけを教えてください。
私は大学を出てからこの業界に入りました。大卒で修行に行くことは今でこそ当たり前ですが、当時は年齢が高く修行先が無かったため、東京美術倶楽部の茶道部に良いお茶の先生が居るとのことで、修行の代わりに茶道の稽古に通うことになりました。そこで出会ったのが裏千家茶道 業躰 日々庵 鈴木宗幹先生でした。茶道部を卒部後も宗幹先生から声をかけていただき、茶事や茶会の際には必ず水屋の手伝いをしておりました。先生からは道具の取り合せの大切さを教えていただきました。また、茶道具商 赤坂水戸幸の吉田孝太郎さんからも良く声をかけていただき、光悦会や大師会などの水屋を手伝う機会をいただき、道具の勉強をさせてもらいました。素晴らし出会いに恵まれ、自然と茶道具に興味を持ち、扱うようになりました。
Q.鈴木宗幹先生から教わった道具の取り合せの大切さとはどんな事でしょうか。
亭主は、季節や茶室、道具の格・色合い・時代・形など、様々なことに気を配り、全体の調和を考えて取り合せします。茶道には「主客一体」という言葉があるように、招かれた客は亭主の意図を汲み取り、その場にふさわしい振る舞いをし、互いに茶席を作っていきます。これが茶の湯の醍醐味です。茶の湯を楽しむには、亭主も客も取り合せを知っていないと駄目なんです。
宗幹先生の茶会の準備の日は、ああでもないこうでもないと道具の取り合わせを行います。私もいつの頃か呼ばれる様になり手伝うようになりました。或るとき、この日は中々決まらず早く帰りたい気持ちがあり、「これで良いじゃないでしょうか…」と言ってその日は失礼しました。翌日茶席に来ると、昨日準備した道具がすべて変わっておりました。「先生、どうしたんですか?!」と尋ねると、「君が納得しない顔をして帰ったから…」と仰いました。道具の取り合わせに対する先生の強いこだわりを目の当たりにした出来事でした。

Q.お店の中には素敵なお茶室がございます。ここでお茶会などされるのでしょうか?
平成17年に現在の溜池交差点近くにお店を移しまた。コロナ前の話ですが「一寸茶専科 -ちょっとお茶しませんか?-」と題し月釜を懸けておりました。サラリーマンが会社終わりにお茶の真似事をして、お茶が飲めるくらいになれば良いとはじめました。最初は数人だったのが今は20人くらい集まっています。流儀は関係なく好きな人がお店に来て、道具の話で盛り上がります。道具の良し悪しというよりは、むしろ取り合せの話をします。この花だったら、どんな花入が良いか、花入も真ん中に置くのではなくて脇に置いたらどうなるか…敷板を変えたらどうなるか…皆さんがどう感じるか語り合います。
宗幹先生は平成28年にご逝去されました。先生が教えてくれた茶の湯の楽しさを少しでも伝えられたらと思い月釜を懸けております。コロナが終息したら、また月釜を再開したいと思っております。
★店内にあるお茶室に案内されてお茶を一服頂戴しました。窓の光が障子を照らし茶室内を優しく包み込む。ご主人「道具を引き立てるのは、障子を通して横から射し込む茶室特有の光です。少し薄暗いですが、五感が研ぎ澄まされ物事の本質をよりよく見ることが出来ます。」道具の取り合わせも然る事乍ら、茶道具を鑑賞するための光にもこだわるご主人の美学に感服いたしました。

▼古角商店の取扱い商品
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▼お店の詳細
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