座談会 髙橋箒庵作 茶杓 銘「無想」 2023-08-01 UP



壽泉堂美術 樫本昌大さん(以下、樫本):この茶杓は髙橋箒庵作の銘「無想」です。国士無双の「無双」ではなく、何も想わない、頭を空っぽにする方の「無想」です。

河善 河合知己さん(以下、河合):無の境地。悟りですね。


高橋義雄(箒庵) 1861-1937

齋藤紫紅洞 齋藤琢磨さん:高橋箒庵は三井呉服店 現在の三越や三井鉱山、王子製紙の経営に携わりましたが、早くに実業家を引退しました。その後は茶人として茶の湯三昧の生活を送りました。

樫本:箒庵が伊勢の数寄者 熊沢一衛に差し上げた茶杓のようです。昭和茶道記に「昭和3年11月20日自邸無想庵に於て白菊茶会を開き、今日の正客、高橋箒庵に対し、余が曾て無想と銘して庵主に贈った拙作を使用した。」と記載があります。熊沢一衛は、電鉄、電力、製紙、銀行など多くの事業の経営に携わり「東海の飛将軍」と称され、事業家として成功を収めました。寸松庵色紙、佐竹本三十六歌仙絵巻の「源順」などをコレクションし、昭和4年の大師会でも釜を掛けています。佐竹本三十六歌仙絵巻は、大正6年に東京美術倶楽部で佐竹家の売立が行われ、余に高価だったため古美術業者9社によって合同で落札されました。その後、海運業で財をなした山本唯三郎が所有しましたが、戦争による経済状況の悪化により、わずか2年で手放すことになりました。大変高価で1人で買い取れる収集家がいなかったところ、大正8年に益田鈍翁によって37枚に分割され、くじ引きで譲渡されました。分割が行われた当時の「源順」の所有は高橋箒庵でしたが、熊沢一衛に所有が移っており、深い親交があったことが窺えます。



銀座美術 森田俊夫さん(以下、森田):良い竹を使ってますね。蟻腰で…

樫本:薄く削って箒庵らしい茶杓です。

古角商店 古角博治(以下、古角):中々ここまで削るのは大変だね。

河合:景色が良いですね、色替りで…すごく華奢ですね

樫本:箒庵の茶杓は薄くて折れそうなんです。箒庵の娘の櫻井宗梅先生が所持されてます茶杓も薄作ですね。



森田:自作で共箱。

古角:珍しい「箒庵野老」と書いていますね。

樫本:野老とは老人が自分をへりくだっていう語。この時、熊沢一衛52歳、箒庵が68歳で年上なので「野老」と書いたのでしょうね。

河合:箒庵が「野老」とは余り書かないですね。東京美術倶楽部の青年会にも八田円斎の孫の八田二郎さんから髙橋箒庵の茶杓が寄贈されています。それも片身替りの景色でした。

森田:筒も杓と同じ竹で作ってるんでしょうか?



古角:いや~それは無いじゃないかな~。

森田:良く胡麻竹だったら、杓筒共に胡麻竹だったり…

古角:似たような竹を使うことは普通にあるけれど、全く同じ竹で作ることは無いと思うよ。

河合:近代数寄者においては、大功労者ですよね。大正名器鑑を作ったり、松平不昧のお墓を神谷町の天徳寺から護国寺に移し、益田鈍翁や馬越恭平などの数寄者に働きかけて、護国寺を東都茶の湯の大本山にしました。それこそ櫻井宗梅先生は箒庵のお嬢さんで、樫本さんのお茶の先生ですから、そういった繋がりがあるんですね。




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