『お国を間違えられたベトナム陶磁のこと』 鶴見大学文学部文化財学科 教授 矢島律子 2022-07-20 UP

 私が長年学芸員として勤務していた町田市立博物館(現在は新しい工芸美術館準備のために休館中)には、東南アジア陶磁の大きなコレクションがあります。そのため、展覧会や調査研究の対象は自然と東南アジア陶磁が中心になり、おかげさまで多様な陶磁文化が彼の地で花開いたことを知ることができました。そして、日本人が古くからその面白さに気付いて、茶之湯の世界を中心に賞玩してきたことも知りました。そんななかで気づいた意外な事象を一つ、ご紹介しましょう。
 日本と昔から関わりが深い東南アジア陶磁といえば、「安南」「宋胡録」であることはよく知られています。「安南」といえば、絞り手や蜻蛉手などとも呼ばれる滲んだベトナム製の染付のことです。「宋胡録」といえば鉄絵や褐彩のあるタイ製の合子が中心です。実際には、ベトナムでは青花だけでなく、青磁、白釉、黒釉、銅緑釉、白釉褐彩、焼締、土器タイでは鉄絵だけでなく、青磁、白釉、白釉褐彩、褐釉、焼締、土器なども作っていました。
 「安南」=侘びた染付。この概念は日本、特に茶之湯の世界では定着しています。しかし、工芸品の呼称というのは当時の人たちの印象で出来上がり、それが基となって後々概念化し、定着していくことが多いので、必ずしも歴史的事実とは一致していません。最近のベトナム陶磁研究の成果をもとに伝世の茶道具をじっくり見直すと、染付以外にも茶道具に取り入れられたものがあることが分かりました。縄簾水指などの焼締陶器についてはすでに認知されていますが、まだ認知されていない一群に白釉陶器があります。たとえば、蓮弁文水指や鎬文筒形碗(『第16回 東美特別展』図録19・20頁 飯田好日堂出品 *「前田家伝来 大正14年5月25日 前田公爵家御蔵器入札目録所蔵」と記載あり)です。
 

 白釉蓮弁文水指には、大澤家伝来品(京都国立博物館所蔵 /安南灰釉蓮弁文水指 文化遺産オンライン (nii.ac.jp))、根津美術館所蔵品、鴻池家伝来品などがあるほか、東京大学大学病院敷地内の前田家支藩富山藩邸址からは多くの茶道具とともに白釉蓮弁文壺が出土しました(富山市/出土した茶道具 写真2-13)。
これは天和2年(1682)のいわゆるお七火事で藩邸が全焼した際に他の茶道具とともに破棄されたようで、水指として使われたと考えられます。
 大澤家伝来品は、朱印船貿易で茶屋四郎次郎のもとで活躍し、ベトナムへの渡航歴(1633・1634年)もある大澤四郎右衛門光中という人物に関わると考えられ、注文品と見られる特殊な造形の安南(染付)水指などと一括で伝わってきたものです。また、根津美術館所蔵品は、野々村仁清作とされる共蓋2種類を伴っていて、金森宗和かと思われる箱書きには「高麗 水差 ふた おむろ 貳つ」とあります。

図1 白釉刻花連弁文壺 ベトナム 李朝時代(12世紀)町田市立博物館所蔵

 興味深いのは根津美術館所蔵品が「高麗」と認識されていた点と、これらの水指の制作年代が14世紀以前と考えられる点です。
 白釉蓮弁文筒形壺はベトナムでは11世紀から15世紀初めごろまで長く作られ続けた定番の器で、形や作り方などの移り変わりをたどることができます(図1)。だんだん簡略になっていくわけですが、その流れの中で考えると上記4点の水指はどれも13~14世紀の作風です。日本に運ばれてきたのは17世紀前半以前、おそらくは朱印船時代と考えていいでしょう。どうやら骨董品をベトナムで探して持ってきたようです。なお、骨董品を運んで来る例は、元時代の新安沖沈没船に積載されていた宋時代の砧青磁や天目、あるいは安土桃山時代にルソンから運ばれた葉茶壺の例があるので、異様なことではありません。しかし、なぜこのようなベトナム古陶磁を選んで運んできたのでしょうか。
 同じように、中国産もしくは国籍不明で伝世してきたベトナム陶磁に、白釉鎬文筒形碗があります。高橋箒庵編纂の『大正名器鑑』第九巻「鳥子之部」の「鳥子手」に益田孝男爵(益田鈍翁)所蔵として掲載されている茶碗、前田家伝来鳥之子碗などがあります。ベトナムでは鎬文の筒形碗はたくさん作られた器で、青磁や黒釉、鉄絵、銅緑釉、青花(染付)もあります。幅広の低い高台が付き、しばしば高台内に鉄銹(いわゆるチョコレート・ボトム)が塗られているタイプ、鎬文の先が省略されているようなタイプは14世紀後期から15世紀初期と考えられます(図3)。この頃のベトナム陶磁は博多などから出土しているので、この頃日本に運ばれてきたものが伝世していた可能性もあります。けれども茶之湯隆盛期の安土桃山時代では骨董品であることには変わりがないのです。なぜ、茶之湯に取り入れられたのか。
 

図3 白釉鎬文筒形碗 ベトナム 陳朝~黎朝時代(14~15世紀) 舛田誠二氏所蔵 
(『ベトナム陶磁の二千年』町田市立博物館 2013年 133頁 より転載)
 



 鍵は「白」と「筒形」にあると私は考えています。ベトナムの白釉陶器は白化粧をした上に透明な釉薬をかけて焼いています。ベトナムには磁土が見つからず、白くしたい時には白化粧をします。これはベトナム陶磁の宿命といえ、中国磁器のような怜悧な白磁にはなりません。半磁器質に白化粧なのでやわらかな白になる。ところが、高麗茶碗といい、志野といい、安土桃山時代の茶之湯では「やわらかな白」が注目され、中国磁器より高く評価されました。
 また、器壁が直立した「筒形」の焼きものは安土桃山時代の茶之湯興隆期以前の日本陶磁には見られません。いっぽう、「筒形」はベトナム陶磁では基本的な器形の一つで、ベトナム陶磁の血脈ともいえる形でした(図4)。備前や信楽の矢筈口水指はベトナム産焼締陶器のいわゆる南蛮縄簾の影響だという説もあります。

図4 青磁鎬文筒形碗・白釉鎬文筒形碗・緑釉鎬文筒形碗 全て舛田誠二氏所蔵 
(『ベトナム陶磁の二千年』町田市立博物館 2013年 138頁 より転載)

 つまり、「白くて筒形の焼きもの」はそうそうなかった。新しい世界を切り開いていった当時の茶之湯にあって、面白いもの、珍しいものを探し求めていた茶人、あるいはその意を汲んで活動していた貿易商たちなどは古きも新しきも探し回っていたに違いありません。そんな彼らの目に留まった。おそらくは彼の地で伝世していたものを拾い上げて運んできたのだと思います。どちらも数多く作られており、特に筒形壺の方は貯蔵具ですので、使われ続けて残っていた可能性が十分にあります。
 というわけで、ベトナム陶磁の本質と茶之湯興隆期がピタッと合致したのが白釉蓮弁文水指と鎬文筒形碗だと私は思うのですが、豈図らんや、「安南」であることは早くに忘れ去られてしまいました。「高麗」「鳥の子」という名称は柔らかな白、というところが注目されたことを示していますが、「安南」=「侘びた染付」という定式が早々と出来上がったため、それ以外のベトナム陶磁は国籍を間違えられてしまった、あるいは不明になってしまったと推測されます。しかし、これらは蜻蛉手や縄簾とともに日本とベトナムの浅からぬ縁を語ってくれます。


文:鶴見大学文学部文化財学科 教授 矢島律子
写真提供:町田市立博物館
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