
【銀座美術 森田俊雪氏、以下森田】:ご正客様、本日はようこそお越しくださいました。
【川上宗雪家元、以下家元】:こちらこそ、ご案内いただきましてありがとうございます。
【森田】:だいぶお待たせしてしまったようで…。

【家元】:あらかじめ、昼頃に来ると待つかもしれないと伺っておりましたので、覚悟して参りました。
【森田】:皆様も本日はお越しくださいまして有難うございました。
【森田】:実は、私にとって本日が初めての席持ちでして、何やかやと準備に追われていたら声が枯れてしまいました。先ほどの席で名心宗匠から「恋煩いじゃないか」と冗談を言われました(笑)。お聞き苦しいところもあるかもしれませんが、どうぞごゆっくりお過ごしください。
【家元】:初めての席主をお務めになるということで…。
【森田】:ええ、初めてなんです。席主というのはなかなか難しいものですね。
【家元】:普段は席主を裏方として支えていらっしゃいますものね。
【森田】:お客様の道具を整える際に、あれこれと思案するのですが、たとえば「この時期にこの水指では暑苦しくないか…」といったことを、何ヶ月も前から考え始めます。今回は濃茶席の古角さんとも相談しながら色々と調整を重ねました。私が「富士釜を使おう」と申しましたら、「自分も使う」と言われ断念し、「蛤の香合を」と申しましたら、それも止めになりまして(笑)。右往左往しながらも、なんとか形になりました。

【家元】:お点前はご子息で、親子でのお席というのも良いですね。
【森田】:江戸千家の顔に泥を塗らないよう、気を引き締めて点前をしております(笑)。それを取り繕うために、私がたくさん喋らねばならないというわけで(笑)。
【家元】:いえいえ、立派なお点前ですよ。床は?

【森田】:お軸は鈴木其一です。
【家元】:滝登りの画ですね。

【森田】:はい。其一は63歳まで存命で、これはおそらく50代の頃の作と見ております。抱一の弟子でありながら、円山応挙への敬慕もあったようで、神戸の「大乗寺」という寺にある応挙の作品と作風が似ております。その寺は、応挙が若い頃、収入のない時期に住職が援助したという由緒があります。応挙が亡くなった翌年に其一が生まれておりますので直接の接点はありませんが、かなり意識して描かれたのではと感じております。
【家元】:琳派の絵師たちは、直接の師弟関係よりも、自ら敬う存在を心の師と仰ぐ「私淑」の形が多いですね。直接のつながりがなくとも、精神的に受け継がれる系譜というのが琳派の魅力でもあります。
【森田】:そうですね。たとえば抱一も、宗達や光琳とは直接の関わりはありません。
先ほど名心宗匠が、鯉が隠れている様子が「恋」を表しているのではないかと仰っていて。忍ぶ恋、片思い、あからさまでない恋心──そんなところまで考えて描いたのではないかと。
花入は、二代・住山楊甫の作で、「龍門」と銘がついております。皆さまが茶席に入られたとき、床の間が一幅の額のように感じられるように意図して飾りました。花は紅葉と木苺です。紅葉は水揚げが悪く、少し心配しております。花は本当に難しいですね。たまたま自宅に枝垂れていた紅葉があり、使えるかと思い…。

【家元】:ご自宅からお持ちになったのですか?
【森田】:紅葉はそうです。木苺は銀座で求めました。
【家元】:香合はどちらのものですか?

【森田】:三井高棟作、南鐐製の亀甲鶴です。北家十代のものです。


【家元】:硯は?
【森田】:観空庵旧蔵で、前山久吉の所持していたものです。彼は三井銀行を経て、王子製紙や東京信託などの役員を務め、後に浜松銀行頭取や共同保全会社の社長を歴任した実業家であり、コレクターでもありました。

【森田】:どうぞ、お菓子をお召し上がりください。「空也」の最中です。菓子器は江戸末〜明治期に活躍した蒔絵師の銘々皿です。守屋松亭、堆朱楊成、梅澤隆真…などが草花図を描いています。空也さんは、店の大家さんのお店です。私は美術商で銀座に店を構えております。
【家元】:「銀座美術」さんです。「空也」さんのすぐ上の階にお店があります。
【森田】:はい。4階で、五十年以上営業しております。
【家元】:琳派の作品を多く扱ってこられたお店です。
【森田】:はい、江戸琳派を中心に、また江戸千家の茶道具も取り扱っております。風炉先は、抱一の作で、富士山が描かれております。床に其一を使ったので師弟関係が逆になってしまいましたが、風炉先が良いと名心宗匠には凄く褒めていただきました。


【家元】:立派な富士山で…松月から富士山は見えるのですか?
【森田】:近くの愛宕神社からは綺麗に見えます。濃茶席は「駿河湾から見た富士山」という趣向でしたので、こちらは「江戸・不忍池から見た富士山」という趣向にしました。其一も不忍池をよく散策していたと記録があります。
水指は古染付で、発色が良く、鬼面の耳がついております。気温が上がると染付のようなものが主役になります。半年前の準備段階では御本の水指を考えていましたが、今思えば暑苦しかったかもしれませんので、これでよかったと思っております。

棗は川上不白好み「雪月花」、二代塩見政誠の作で、不白86歳のときの朱書があります。炉縁は守屋松亭作「吉野龍田」。松亭は棗は多く作りましたが、炉縁は少なく、炉縁に顔を突っ込んで作業することがギロチンのようで嫌っていたそうです(笑)。
【家元】:そのはなしは本当ですか?(笑)
【森田】:ええ、そのようです(笑)。そのため、おそらく五点ほどしか存在しないのではと言われています。釜は瓢箪形で、二代・名越作です。

【家元】:鐶付も地紋も瓢箪ですね。形で一つ、鐶付に二つ、こちらからの地紋が一つ、正目にに二つで…六瓢息災でしょうか。
【森田】:長野烈さんに見ていただいたところ、「博多芦屋写し」、江戸初期で「二重肩」の形ではないかと。五十肩ではありません(笑)。
【家元】:二重肩ですね(笑)。表面の艶も芦屋を思わせる風合いですね。

(正客にお茶が出る)
【家元】:おいしく頂戴しております。
【森田】:お先に三客様から、お次客様は替茶碗にて失礼いたします。
【森田】:この茶杓は高原杓庵作、銘は「都鳥」です。
名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと
──都という名を持つのなら、都鳥よ、教えてくれ。私の恋しい人は、都にいるのかいないのか…。
業平が京都から江戸へ出てきて、都鳥を見て感じた心情でしょうけれど、私も大磯に来て、江戸の妻がどうしているかな…と同じ心境です(笑)。
【一同】:(笑)
【家元】:寄付のお軸も「都鳥」でしたね。

【森田】:はい、寄付と合わせたくて…そちらは歌川広重の作で、「立斎」との落款があります。大磯は東海道五十三次の8番目の宿場で、広重の浮世絵にも描かれているため、それに因んで掛けました。また、賛は尽語楼内匠で、「都鳥みつつ隅田の渡し守…」とあり、船頭が皆様を濃茶席の「駿河」へお連れし、再び江戸に戻る…という趣向を考えてみましたが、考え過ぎかもしれません(笑)。
【家元】:いえいえ、濃茶と薄茶のつながりが面白い!。
【森田】:今日はおかげさまで暑くもなく、雨も降っておらず…
【河合】:でも風がね~。濃茶席のテーマは「湘南の風」ですから(笑)。
【一同】:(笑)
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