座談会「原三溪筆 鮎市 縣治朗旧蔵」 2023-06-29 UP



齋藤紫紅洞 齋藤琢磨さん(以下、齋藤):
原三溪の「鮎市」という軸です。箱に昭和7年の作品で縣治朗の旧蔵と記載あり。三溪画集の第4巻に載っています。皆さんご存知のように、三溪は生糸貿易で財を成した実業家で、美術品の収集家・茶人として知られています。コレクションの中で仏画 国宝『孔雀明王像』が有名です。また、横山大観、前田青邨など多くの画家を育てたパトロンでもありました。三溪自身も、祖父が南画家で、幼少の頃から絵や詩を学び、自らも筆を執りました。

那須屋 野口明嗣さん(以下、野口):鮎を釣って、その場で売ってるってこと?

壽泉堂美術 樫本昌大さん(以下、樫本):即売だね。

河善 河合知己さん(以下、河合):この人、棒手振で籠を担いでるね。

齋藤:その人が行商です。背中蓑を付けた漁師が舟を岸に寄せて魚籠を持って行商さんに鮎を買ってもらっています。煙管を吸って釣果を話したり、傘を持った女性が鮎を買いに来てたり、市場の活気が伝わってきます。空は雲がかかり、小雨が降り、遠方の山々は霧が霞んでいるような幽玄の世界…文人画の山水のような構図です。

銀座美術 森田俊夫さん(以下、森田):何歳くらいの作品でしょうか。

齋藤:昭和7年ですから64歳のときの作品です。



古角商店 古角博治さん(以下、古角)
箱には「昭和7年秋十月 三溪」。秋十月だから「落ち鮎」だね。鮎って言ったら普通は七月だからね。

河合:大橋茶寮さんでお茶事をやったときに、こんな大きな鮎が出て「こんな時期に鮎?」、女将さんが「これは落ち鮎よ~」と仰っていました。

森田:「鮎」ですから夏の風景を十月に描いたということではないでしょうか。

野口:そうですね、夏の風景を秋に描いては駄目だということもないですしね…もしくは、縣治朗に贈ったのが秋十月ということも考えられますね。

一同:なるほど~

齋藤:お茶で使うなら、初夏に寄付や薄茶席で掛けると季節感と涼を感じられると思います。

古角:寄付に掛けて、懐石で鮎を出すのも良いかもね。なんだか、一杯吞みたくななってきたよ~♪

玉鳳堂 山田高久(以下、山田):古角さん、まだ午前中ですよ~!

一同:(笑)

河合:旧蔵の縣治朗は田中親美の弟子でしたね。

古角:縣治朗はオークラの象徴となる本館の大宴会場「平安の間」の大壁面装飾「三十六人家集三十七帖」を制作しています。建て替え後は、オークラ ヘリテージウイングのロビーにあるようです。

樫本:絵の題材となった場所はどこなんでしょうか…流石に三溪園辺りで鮎が獲れるところは無いよね?

齋藤:あの辺りでは鮎は獲れないです。原三溪は岐阜の出身ですから、恐らく長良川などを題材にして描かれたのではないでしょうか。

河合:三溪園は凄く良い所ですね。二年毎に、五流派の家元が釜を掛ける三溪園大茶会があって、泊りで水屋の手伝いに行っていました。平成30年10月に原三溪80回忌追善茶会で大師会も開催されて、聴秋閣の濃茶席を瀬津さん、臨春閣の薄茶席を五島美術館が担当し、私は五島美術館の水屋を手伝いました。三溪が大師会の会長を務めた大正12年に三溪園の内苑の完成を記念し、三溪園で初めて大師会が開催されました。大師会はその後、三溪園で11回開催されています。

齋藤:実は私の住み暮らす隣町、"横浜"という事もあり三溪園の存在は幼少期から知っていました。その頃は原三溪がどの様な人物か全く知りませんでした。私がこの業界に入る前の2009年に大々的な展覧会が三溪園で行われました。父に言われて1人で行ったのですが入って直ぐに大きな国宝『孔雀明王』が掛けられ、只々「凄い!」という言葉が出てきました。その後2019年にも横浜美術館にて原三溪展が行われ、横浜と言う事もあり3回観に行きました。全く興味無い友人にも「仏画だけ観れば良いから」と絶対行った方が良いと勧めましたね(笑)
 三溪は茶道具も素晴らしい物をお持ちだったと思うのですがやはり展覧会など通して見てると茶人と言うよりは古美術蒐集家、芸術家のパトロンと言った方がしっくりくる気がします。
 三溪園もお庭や建物散策するだけでも楽しめるので横浜に来た際にはみなとみらいだけでは無く、是非デートスポットとしてひとついれては如何でしょう!

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