玉鳳堂 備前伽藍香合 第2回  2022-03-13 UP


玉鳳堂 備前伽藍香合 第2回

 ここで、雲州家に玉鳳堂が御出入りを許される様になりました最初のエピソードも記して参りましょう。
 其れはある日、日本橋仲通りの店舗に殿様がお出ましになられた事が始まりでした。保次郎は日々常に釜を掛けて松籟を絶やさぬ人でした。殿様は先ず、お茶の美味しさに御満足されました。お詰めは保次郎の故郷、名古屋のお茶と聞いております。煙草盆の火入の箸目も美しく、店内も心地よく整えられており、そして保次郎の恬淡で堅実な人となりをお気に召されて、貴重な御縁を頂きました次第です。
 関東大震災で日本橋を焼け出されてしまい、裸一貫となっていた中で、直亮伯から健太郎へ
 「商売替えをする者も多いと聞くが、お前はどうする?」
とお尋ねがございました。
 「相場が戻る迄は堪え忍ぶしかありません。私はあくまで此の仕事をして参りますが、但、品物がなく困っております。」
と志と実情をお話しました。殿様は気の毒がられて、其れなればと
 「見舞いとして此の香合を進ぜよう。」
と不昧公伝来の備前伽藍香合を拝領したのです。此の事をきっかけとして其れまで長く整理に上っていました雲州家の宝物を少しずつ扱わせて頂ける様になって参り、商売も順調に運ぶ様になったのでした。
 直亮伯の御後援によりまして、大正十四年(1925)、炉開きの頃には信濃町宅での席披きが叶う事となりました。先に申し上げた様に魯堂により家屋と茶室が整えられました。お茶室は三井泰山翁(三井永坂家八代目)の鳥居坂邸にございました利休好み三畳台目を移築したものでした。不昧公好みの明々庵が、当時は東京の直亮伯邸にございましたが、その頃、松江市に帰郷移転される事となりまして、跡に残された石灯籠・蹲・飛石等を、譲り受ける事ができました。
 先にお話の直亮伯より賜りました不昧公伝来の備前伽藍香合ですが、益田鈍翁(どんのう)のお抱えでした大野鈍阿(どんな)に写しをお願いしました。殿様に御箱書きを御染筆頂きまして、お招きした方々へ記念の御品としたそうでございます。(写真参照)
 明々庵とは、不昧公が家老.有澤弌善(かずよし)の松江邸内に安永八年(1779)に建立した古庵です。現在は島根県の有形文化財に指定され、松江城から徒歩十分程の武家屋敷が建ち並ぶ高台に移築、公開されています。松江市は不昧公の御膝元ですので、お茶文化が根付いた風情豊かな街でございますね。不昧公好み始め、雅趣ある銘菓も多ございます。季節の良い頃にまた訪れて、美味しいお茶を味わってみたいと思います。そうして、松江城を望みながら不昧公や直亮伯爵の時代や御人なりを偲んでみたいと存じます。
第3回へ つづく~

▼玉鳳堂 備前伽藍香合 第1回
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