『祖父平櫛田中の集雅』 小平市平櫛田中彫刻美術館 館長 平櫛弘子 2022-08-10 UP

 
 8月の「茶の美談」では彫刻家・平櫛田中の孫 平櫛弘子氏(小平市平櫛田中彫刻美術館 館長)に美術品の蒐集家としての平櫛田中に焦点を当て「祖父平櫛田中の集雅」と題しご執筆いただきました。
平櫛田中自身は茶人ではありませんでしたが、当時の数寄者や作家との交流から茶の湯との関係が垣間見えます。平櫛弘子氏は現在、館長業務の傍ら江戸千家流の茶道を習い茶の湯を楽しんでおられ、我々茶道具商ともご縁があり今回ご執筆をお願いするに至りました。また本年は平櫛田中生誕150年の節目の年で、9月17日(土)から11月27日(日)まで小平市制60周年事業「生誕150周 平櫛田中展」が小平市平櫛田中彫刻美術館で開催されます。今回の「茶の美談」をご覧いただくと展覧会がより楽しめるのではないかと思います。それでは8月の「茶の美談」どうぞお楽しみください。
 

 私の祖父平櫛田中(1872年2月23日〈明治5年1月15日〉 - 1979年〈昭和54年〉12月30日)は彫刻家として明治・大正・昭和という美術史上大きな変革のうねりの中で制作活動をおこないました。
 岡山の井原市という片田舎出身の青年はまず大阪で「備貞」という小間物問屋の丁稚奉公で異次元の世界の洗礼を受け、自分が将来美術の世界に足を踏み込むなんて予想だにしなかったことと思います。しかし実は、この時期すでに岡倉天心創刊の美術雑誌「國華」の第一号を求めていたのです。丁稚の後、人形師 中谷省古の元で木彫を学び、一刀彫の名工 森川杜園が活躍する奈良に移りました。こうして木彫に対する興味と同時に、後に花開いていく「集雅」という芽が育まれていきました。明治30年26歳で活動拠点を上野谷中、上野桜木町に移し、晩年の10年を小平(東京都小平市)に暮らした以外、美術芸術という大活火山がうごめいていた上野に住み続け、刀と鑿(のみ)での彫刻人生を全うしました。
 当時は岡倉天心、原三渓、細川護立、根津嘉一郎等美術界の先達がいた時期です。こういう方々は師ともパトロンともなり作家を支えてくれました。祖父もそうやって導かれ引き立てられた一人でした。「横浜の三渓宅を訪問する時は連れていく弟子にも新しい足袋(たび)をはかせた」と言っていました。
 

 祖父のコレクションの中で特筆すべきは書籍の蒐集です。上野桜木町時代は困窮していたにも関わらず、古書等を買い求め、家族の手前お店に預けておいたのに店主が気を利かせて自宅に届け祖母にバレてしまったり、「客用の布団もないのに」と祖母にこぼされると「わしは客に本を敷いて寝てもらうから…」と言ったり、そんな話を母から伝え聞いています。書籍は小平市中央図書館と井原市立田中美術館に寄贈しました。二万冊位で重要な和書も含まれています。
 最近オークションで祖父と同年代の美術作家のコレクションを拝見する機会があります。祖父も含めてこの時代の方の蒐集に共通している部分があり、毛筆が日常生活に自然に馴染んでいたからか、墨、硯は数少なくても必ず集めています。例えば祖父は洮河緑石硯、端渓硯、漢時代の瓦の亀硯等60丁以上蒐集していました。
亀の硯(左)と田中作の亀の陶器

中でもこの漢時代の亀型の硯は愛着をもっていた様で、80歳後半で陶芸家 荒川豊蔵先生の釜を訪ねた折、この亀の硯を思い出し手びねりで作ったものがあります。さすが彫刻家、日頃眼にして手取って楽しんでいる好きなものは見本がなくても再現出来るのだとびっくりしました。館ではこの二つを並べて展示することも有ります。古墨も方于魯(ほううろ)や程君房(ていくんぼう)等も集めていました。
古墨方于魯製
 
 彫刻家としての祖父は絵画よりは立体に興味があった様です。奈良の一刀彫の森川杜園(とえん)の作品群は昨年秋奈良市美術館の森川杜園展に出品依頼された程の充実したコレクションです。正倉院展で奈良を訪れ古美術商玉林善太郎さん等にお世話していただき蒐集した様です。森川杜園の試行錯誤の制作研究が表れているような作品もあります。祖父はその彩色技術にも注目していました。
森川杜園作 木彫試作品・呉服・鹿硯・根付(上記作品以外に春日赤童子などがある)


森川杜園作 彩色豊かな雛人形

【続きは8月20日ごろ】

文:小平市平櫛田中彫刻美術館 館長 平櫛弘子
写真提供:小平市平櫛田中彫刻美術館
 

小平市制60周年事業 特別展「生誕150年 平櫛田中展」

■会期:令和4年9月17日(土曜)~11月27日(日曜)
■場所:平櫛田中彫刻美術館(小平市)

平櫛田中の生誕150年を記念して、明治期から昭和期にかけて活躍した田中の各時代の代表的な作品と、近年発見された作品によって、この不世出の芸術家の全貌を紹介します。

 
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